昭和29年「池袋」 駅前、ヤミ市、映画館、ガード、商店

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Published 2017-02-15
(1950年頃の池袋駅周辺の様子です。)
いろいろとご指摘があり、タイトルの昭和25年を29年に訂正しました。申し訳ありません。

All Comments (21)
  • 何十年前の映像に映ってる店や病院の名前をネットで調べて、現在でも営業しているのを知ると、なんか感慨深い気持ちになる。
  • @mittyann0828
    東口で育って70年 懐かしい映像ばかり よくこれだけの写真が あったものと感心するばかり。 貴重なものを有難う。
  • @nsjsgsush
    昭和29年の池袋ですか…私昭和29年生まれです。東武東上線のときわ台に住んでいた頃、池袋は子供の私には憧れの地でした、マンモスプールや東武デパート全てが眩しかったです🎵
  • 昔は正月ともなれば雑煮をたべ 数の子を食べ、お年玉もらって プラモデル買うのが楽しみでした。 風情がありましたね。
  • @tak_TAG
    この時代を生きていた訳じゃないのに、何だか胸がいっぱいになる。
  • @hayateru1858
    職場が池袋ですのでほぼ毎日池袋駅を利用していますが、このような時代があったのですね。当時の面影はないですが、感慨深いです。先人の方々に感謝です。
  • @user-zy7jr7wj3d
    終戦から十年も経ってないのにここまで復興してる事に驚き。 もう死んじゃったけど俺の婆ちゃんと爺ちゃん頑張ったんだなぁ。
  • @user-fn1gi6cg4g
    うちの父は1954年生まれです。私は1990年12月最後に生まれましたが、父と私の世代ではこんなに大きく変わっていたことに凄く驚きました。
  • ビックリガード東口から西口に行くのによく通りました、この時代の写真を観ると今はモノが溢れて餓死する人はいないし、西口の前の通りバラック小屋が建ち並び、其れとなぜが蛇屋さんが有ったのが思い出されます、東口のキンカ堂も懐かしい、いまはもう無いでしょうね、西武デパートが有ってその隣には、丸物デパートが有ったのも目に浮かぶ、懐かしい写真有難うございます。
  • @jjd1312000
    叶うなら、お散歩して、外食して、電車に乗って、この雰囲気を堪能してみたい。
  • @pingshenable
    この人たちが居るから親がいる。そして俺たちがいる。ありがとう。
  • @kh-gn3xu
    カラーだと印象が全然違いますね。 古い映画やドラマなどでも、こういった昔の街並みが映ると胸が躍ります。
  • @khanjizi9477
    この頃、当時5歳の私が王子から池袋幼稚園に一人で通っていました。 あのガード下を通っていた思い出があります、とっても懐かしいです。
  • @user-lb8fg8mv3c
    これが池袋?良き時代にも思えるしこの写真を見たら時代を築き上げてくれた人達一人一人の日本人先輩方に本当に感謝です。人類は素晴らしい!
  • @user-xs9ly7wb9h
    当たり前だけど、カラー写真で見せられるとリアリティが増して この時代にも今と変わらない普通の日常があった事を気づかされますね
  • @nopponakim
    どんな特撮映画よりも心に響きました。全然知らない世代の方々ですが一生懸命にこの日本を支え、僕達にバトンタッチしてくれた方々だと思うと何か御礼をしたくなりました。皆さん、コロナなんかに私達が負けないようにどうぞ天国から見守っていて下さい。
  • @moripee
    池袋で生まれ育った者です。 生まれたのはこの写真の時代のずっと後ですが。 貴重な写真の数々ありがとうございました。
  • 子供の頃の記憶にある店がいくつもあります。パチンコの金パールは明治通り沿い、鎌田産婦人科の名前、キンカ堂はなつかしい。地下通路は現在の整備された姿よりもこの写真の姿が記憶と一致、臭い地下道でしたね。
  • 昭和47年から最近まで住んでいた故郷です。アコーディオンの傷痍軍人、百貨店のアドバルーン、キンカ堂のワッフル...動画とは時代違いながらの郷愁を持つのだけど、それにも増して高度成長期って凄い。父はこの景色を歩いてたんだろうなぁ。
  • @41windytale36
    最初に映っているガードの「東横百貨店」広告看板に”渋谷本店11月増築”と記されていますから1954年(昭和29年)で間違いないと思います。現在の東武百貨店が当時東横池袋店だった関係で広告を出していたのでしょう。 1962年生まれの私が幼少時大食堂のカレーライスを楽しみにしていた三越池袋店(1958-2009)が建てられる前ですね。 一方、もう少し古い時代の写真では都電の軌道が東口ロータリーに突っ込むような形になっていたことが記録されていますから、地下鉄の開通にあわせて東口駅前の整備が完成した頃でしょう。 高い場所から撮影されたカラー写真には滝野川のガスホルダー鉄骨がはっきり写っています。 志村蓮根町からの国際興業バス(1956年運行開始、現在の池20系統の前身)はまだ乗り入れていないみたいです。 映画館は現在ビックカメラのある通りで、この写真から12年ほど後ですがバスの窓からかすかに見た記憶があります。 キンカ堂もまだ低いビルですね。 0:59の都電停留場から撮影した写真の書店は1990年代まであって、私も幾度か買い物しました。 地下道の写真は現在の西武百貨店入口付近でしょうか? 西武は既に「池袋線」の案内ですが、国鉄の武蔵野線ができるまでは旧武蔵野鉄道由来で”武蔵野電車”という人もかなり多かったようです。昭和が終わる頃まで、腕を負傷した元軍人さんが大きな鍋を持ってハーモニカを吹いていました。 1980年代後半まで、北側の地下通路は国鉄の構内でした。だから冒頭に出てくる東西連絡通路が賑わっていました。 南側の通路は1970年代に有楽町線が開通する際作られています。 綺麗に整備された表通りから一歩奥に入れば、バラックや古いボンネットバスで暮らす人がたくさん。 質屋の看板も目立っています。 きれいな音楽で彩られた映像ですが、都電や車の音や私が1960年代末にも感じ取っていたどこか埃っぽい空気感が浄化されて後世に伝わっていくのかな、とも感じました。これから”コロナ不況”で、たくさんの人が貧弱な環境で暮らさざるを得ない時代がまた来るかもしれず、ただ懐かしさだけでは済まされないようにも思えます。